ラウラ&ルベンのにっぽん不思議滞在記④ 耕す人たち

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第4話 耕す人たち

大きな話になりますが、人類がこれまで生きるためにしてきたことは、歴史上のほとんどの期間、「耕すこと」だったと思います。

かつての人々は、生きるために生きていた。
生きるために食べ、食べるために耕していた。

第二次世界大戦後も、農業を生業とする多くの人がいたと思います。
その状況が少しずつ変わってきて、今日では、生きるためにする仕事は必ずしも耕すことではありません。
会社に行って一日中パソコンの前に座っていても、食べて、生きていくことができる社会になりました。

さて、日本人にとって、欠かせない食べ物は古来から「米」でしたが、今日は、ルベンに言われるまで気がつかなかった、メキシコと日本、両国の国民のある違いについてお話します。

私たち三人が、浅草・浅草寺の奥にある路地を歩いていた時のこと。
突然、一台の車が歩道に横付けして停まりました。
すぐに一人の高齢の女性がゆっくりとその車に乗りました。
息子さんがお母さまを迎えに来たような様子でした。
それを見ていたルベンが、こう言いました。

「日本の高齢者は、腰がすごく曲がっている人が多いなと思っていたんだけど…今、気づいたんだ。耕す方法が違うからなんだね。田植えをするには、ものすごくかがんだり、腰をま曲げて、田んぼ一帯をやり終えるまで、ずっとその姿勢でいなくちゃいけない。
メキシコでは、主食はトウモロコシだけど、耕すときに腰を曲げる必要がない。皮をむく工程では少しかがむけど、種まきも刈り取りもずっと立った状態でできるからね。」

「た、確かに…!」

言われてみれば、メキシコでは、日本の高齢者のように著しく腰が曲がったまま歩いている方を見たことがなかったのです。
ずっと日本で育ってきたカチェトナにとって、ご高齢の方の腰が曲がっているのは普通に感じていました。
だけどそれは、ただ年を重ねたからというだけでなく、それぞれの国の主食となる食物の、耕し方の違いでもあったのですね。

日本でも農業の機械化は進んでいますが、今でも時々、長らく田んぼの仕事に従事されてきたのだろうなと思われるご高齢の方をお見かけします。

現代では、生きていくために、種まきも刈り取りも必要ない人がたくさんいます。
全く土に触らず、ご飯、パンにトルティージャを食べて生きていくことができます。
生きていくために何をするか選べるということが、本当にありがたく、幸せなことだと感じました。

田畑を耕し、今日の私たちのところまで、命をバトンをつないでくれた先祖の方々に、心から感謝します。

<完>

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