ラウラ&ルベンのにっぽん不思議滞在記⑥ いつも笑顔の店員さん

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第6話 いつも笑顔の店員さん

世界でイメージされる日本人の国民性のステレオタイプと言えば、どんなものを思い浮かべるでしょうか?
真面目、几帳面、規律正しい、シャイ、勉強家、他者を尊重する、働き者、発明家…
これが、私がこれまでに海外の友だちから聞いた日本人のイメージです。

日本人も十人十色、一括りにはできませんが、様々な国の人々と比べると、そのような傾向はあるように思われます。

さて、これはカチェトナとラウラ&ルベンが、東京スカイツリー前駅にいたときのことです。ラウラは水を買いにキオスクへ行き、ペットボトルを片手に戻って来て、こう呟きました。

「日本人は表現が豊かだね。特にお店の店員さん。」

電車や路上を見回してみれば、道行く日本人がみんなニコニコして、元気に話している訳ではありません。無表情だったり、イライラしていたりする人、ボソボソ話す人や、フニャフニャ話す人もたくさんいます。ラウラは、不思議なことに、お店の店員さんだけが常に笑顔でハキハキしているということに着目したようです。

カチェトナは、確かにこの光景は、メキシコの接客風景と違うことを思い出しました。
メキシコで接客を受ける時は、ニコニコしている人、親切でよく気がつく人もたくさんいますが、不機嫌そうな人、疲れていそうな人、やる気なさそうな人、いきなりタメ口の人がたくさんいて、はじめすごく驚いたのです。

日本と異なり、個人の自由が大幅に尊重されており、お客様といえども一人の対等な人間として扱うという姿勢をそこに感じました。また、「近しい存在である」ということが、一種のマナーであるという認識があるようにカチェトナは感じました。

では、日本人が接客の時に絶やさないあの微笑みは何なのでしょうか?
昔アメリカに少し住んでいた母から、日本人の笑顔(微笑み)は、欧米の人々から、「面白くもないのに笑うなんて気味が悪い」、「私を馬鹿にしてるのか」と誤解されてしまうこともあったと聞いたことがありました。

日本人が微笑むのは、歴史的に根深い習慣なのだと思います。
聖徳太子(574-622)の時代、「和をもって尊しとなす」と憲法に定められましたが、人と角を立てずに仲良くするということが、義務だった時代もあった。
目上の人に逆らったり機嫌を損ねたりすれば立場が危うくなる、または問答無用で斬られる時代も長く続いた。

「私は敵ではありません。あなたにお従いします。」

「あなた様が不快に思われぬよう心を配っています。それほどあなた様を敬っております。」

日本人の微笑みはきっと、国の統括者の指導を守り、家の玄関先や店先にやってくる上の身分の人々の機嫌を損ねず、用心して自分の命を守るために始まったように感じます。
その名残で、現代において、自分を刀で斬る可能性がないお客様に対しても、同じような態度を以て、最大限の経緯を払い、おもてなしをしているのではないでしょうか。

身だしなみにも気を遣い、例えばレストランでは、爪伸ばすな、マニキュア禁止、髪の毛は地毛に近い色、前髪は目にかからないように、ハキハキした声で話す、姿勢よく、そして留めに「常に笑顔で接しましょう!」と、様々な規則が当たり前に課せられています。

微笑みとは…
我を出さず、角を立てず、どんな相手とも良い関係を作る和の心。

微笑みとは…
自分の感情や考えを表現することより、相手が不快感や不安を抱かないことを気遣い、相手のことを優先するおもてなしの心。

日本特有のこの微笑みの文化を、私は美しいと感じます。
神道の考え方にも見られるように、自然の中にあるひとつひとつの存在に神様が宿っていて、一人一人のお客様が大切であるという姿勢は、とても美しいと思います。

だけど同時に、一人一人の人間が等しく大切であると認識されるようになった世の中で、接客を行う側だけが、身分が低い状態が変わっていない国であるということを不思議に思います。
悲しい時、苦しい時、どこか痛い時、大変失礼な相手に出会ったとき、接客を行う側だけが、全てを隠して自分の中に押さえつけ、微笑みを浮かべ、対応し続けなくてはいけない。

こういう状態が少しずつ変わっていくと、もっと平和で、風通しのいい社会になるんじゃないかと、ぼんやり思うのでした。

<完>

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